『毒親と書いて母と読む』 天気:晴れ
お久しぶりです。
短いスパンでの低気圧(寒)、高気圧(暑)、低気圧(寒)の繰り返しにすっかりグロッキーになり、久しぶりに本格的に寝込んでしまいました。
が、やっと復活!
…だといいんですけどね。一応更新再開です。
お仕事も再開です。
久しぶりに仕事に行ったら、上司が「大丈夫か?まだ顔色があまりよくない。無理はしない」って心配して、いそいそとストーブ点けてくれました。事務のお姉さんにも心配されました。人の優しさが身にしみる。
虚弱体質で本当に申し訳ない。
この寝込んでいる間でも関係ないとばかりに、人を使おうとする女が一人。もちろん母です。
布団で大人しくしている私に「街へつれてけ」と。さすがに無理なので、丁重にお断りしたらこれ見よがしに不機嫌になり、ドアを力一杯閉めて、出ていきました。
ブレないな~、この人。逆に感心するわ。
今日はこの毒親の事を書きましょう。
母がこうなのは今に始まったことではなく、昔から私に対しては塩対応。
幼い頃から体罰ありきでしたね。
私が知恵をつけ(愛情ではないと気付いた、ともいう)、拳をよけるようになった頃からは精神的な体罰にシフトチェンジしました。
そういう殺伐とした関係が、私が成人になった現在でも続いております。
前々職でちょっとした嫌がらせの積み重ねに精神的にしんどくなって辞めた時のこと。
私よりも世間体がダントツの差で大事な母は、激昂し私を責め立てました。事情も聞かずに。
いつものことですが。
顔を合わせる度にそのような感じだったので、精神的に参っていた私はなるべく遭遇しないように、無職の私は安全であるはずの家の中でコソコソ活動するという『世間一般のご家庭って何ですか?』っていう生活をしていました。
ある日、母が姉と出掛けたのを確認し、キッチンへ行き冷蔵庫から余り物の食材を漁り昼食の用意をします。前日の昼に食べたきりで、タイミングを掴めず夜は抜いていたので、腹ペコでした。
ところが、もうすぐ出来上がるぞ、というタイミングで母たちが帰ってきてしまいました。
今更途中で料理を止める訳にもいかず、仕方ないので嫌味を言われる覚悟を決めた時、キッチンに来た母が言い放ちました。
「よくもまあ、ごはん食べれるよね。誰の許可貰ってんの。何様のつもり?」
まさかの、飯食うな発言。
要約すると、母は私に餓死しろと言っています。
いつもは母の影響で私をクズで役立たずだと思ってる節のある姉も、この言い様にはさすがに固まっておりました。
さすがにもうごはんを食べる気にはなれず、勿体ないと思いつつ作りかけの昼食を捨ててそのまま部屋に引きこもり、その日は1食も食べず。
それからは、雀の涙ほどもない貯金を崩し、なんとか食いつないでましたね。
それでもなかなか職が見つからず、雇用保険もまだ支払われず、後半は貯金も尽きそうになり『あぁ、もう死ぬしかないのかな』と思ったりもしました。
余談ですが、この頃に疎まず手を差し伸べてくれたのが、温かいご飯と居場所を惜し気もなく与えてくれたのが、よくこの日記に登場するトシコちゃんの母、私のいとこでした。
このご恩は必ず返す。そう心に誓ったのですが、恩を返す前に星になってしまい、本当に残念でなりません。
今私が自律神経の治療に専念せず、働いているのはこういった出来事もあったからです。
また飯にありつけなくなったとして、今度は手を差し伸べてくれる人はいないのだから。自分でなんとかしなきゃ。
さて、話を母に戻します。
いつだったか、よりにもよって私の誕生日に「いなくなればいいのに」って言われた事もありました。
そんなに言うくらいなら、産まなければよかったのに。
そんな母ですが、他人の子供が虐待で死んだニュースなどを見ると「ひどいことをする」「親のすることじゃない」と憤ったり遺憾を表明したりします。
私からすれば『どの口が言うか』という思いで一杯ですが。
母からすれば私への対応は、あくまで「しつけ」であって、それ以上でもそれ以下でもないのでしょう。
自覚無しってマジ怖い。
学生の頃は他のご家庭でお母さま達が、都会で一人暮らししている子供のために母の味を冷凍保存して送る、ちゃんと生活しているか心配で様子を見に行く、という光景を目にする度に、とても羨ましかったです。
今はもう、そんな感情も湧かない。期待するだけ無駄。
すべてを諦めざるを得ない。
どこまでも現在進行形で心を蝕む。
毒親を持つってこんな感じ。